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築地波除稲荷神社は、東京都中央区築地に鎮守する神社です。
今から350年程前は中央区築地一帯は一面の海で、江戸開府(1603)時の「慶長江戸絵図」では、日比谷のお堀のあたりまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所を描いています。
日比谷入江の埋め立ては、江戸城西丸の増築時に掘られたお堀の揚げ土を使って始めたと言われます。これに続いて、江戸東南海面の埋立ては、全国の諸侯七十家に、千石につき一人の人夫を出させて完成させたということです。その時の埋立ての役員の名をとって「尾張町」「加賀町」等と名附けられました。
さらにその70年後、明暦の大火を経て、4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立工事の際、困難を極めたのがこの築地海面でした。堤防を築いても築いても、激波にさらわれてしまうのです。
或る夜の事。海面に光りを放って漂うものがあり、人々が不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。人々は畏れて、早速現在の地に社殿を造りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。それからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立ても立派に終了しました。萬治2年(1659年)の事です。
人々はその御神徳のあらたかさに驚き、この稲荷大神に「波除(なみよけ)」の尊称を奉り、雲を従える龍・風を従える虎・一声で万物を威伏させる獅子、の巨大な「頭」が数体奉納されて、これを担いで回ったのが祭礼「つきじ獅子祭」の始まりです。
それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。
その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。
御本社は衣食住・殖産工業・商業の守り神である「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」をお祀りし、波除様と尊称されます。
現在の社殿は昭和十二年に出来たもので、御祭神の繋がりが有る伊勢神宮(外宮)と同じ唯一神明造で造られており、国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に御造営された神社の御社殿です。
和装結婚式・和装婚礼とは、和風の衣裳(衣装)を着用して挙げる結婚式のこと。最近は「和婚」と言われることも多いようです。
具体的には、女性(新婦)は白無垢・色打掛・振袖・引き振袖などを着用し、男性(新郎)は紋付・羽織・袴・裃(かみしも)などを着用して式を挙げる儀式形態です。
これは純日本風の伝統的な結婚式の仕方で、タイプとしては「神前式」「仏前式」「人前式」などの形態があります。
これらの形態の中でも、「日本古来の凛とした伝統的な儀式」「三三九度や玉串奉奠などの厳粛かつ神聖な儀式」で永遠の愛を誓い合いたいという気持ちの高まりから、和婚スタイルの中でも「神前挙式」は、最近若い層を中心に改めて注目を浴びているようです。